2011年10月29日土曜日

ネコのこと

わけあって実家へ帰ってきている。実家ではネコを飼っている。私が大学へ入学したのが2000年で、その年の冬にやってきた。その時はまだだいぶ若く、夜になると家の中を走りまわったりしていた。あれから11年、もう13歳くらいになったのではないかと思う。歳のせいか、走りまわるようなことはなくなった。ほとんど一日中寝ている。

さて、そんな我が家の御ネコ様は食事にうるさい。気に入ったものしか食べない上、その好みもころころ変わる。人間の食事は塩分が強いので、なるべくキャットフードを与えるようにしている。ネコは腎臓が弱い。最近のお気に入りは、ユニ・チャームの「ねこ元気」シリーズのレトルトタイプである。

このレトルトだが、一袋の容量が40gで、一日に3〜4袋与えるようにと書いてある。うちのネコは、食い意地が張っているのか、だいたい一日に5〜6袋も食べる。したがって、頻繁にドラッグストアへ行っては、このレトルトを買い占めることになる。

このレトルト、年齢によって、1歳以上、7歳以上、10歳以上、13歳以上と、年齢ごとに種類が分かれている。お店には種類ごとに少しずつしか置いていないので、母は、7歳以上〜13歳以上までを買い占めている(さすがに、1歳以上では若すぎると思う)。

ここでわからないのが、何の違いによって種類が分かれているのかということだ。袋の裏の表示を見比べてみたが、原材料、栄養ともに大きな違いは見られない。ユニ・チャームのWebサイトを見てみても、掲載されていない。

ペットを飼っている人ならわかるだろうが、ペットは家族である。家族には、よくわからないものを食べさせたくはない。ペットフードとはいえ、メーカーはそれが「食品」であることを認識して欲しい。これは、ペットの健康のためであり、また飼い主の安心のためでもある。

ちなみに、我が家の御ネコ様は、そんなことなど何も気にせず、何歳用でも喜んで食べている。心配するのは人間だけか…

2011年10月18日火曜日

Dennis Ritchieへ

http://jp.techcrunch.com/archives/20111015what-can-we-learn-from-dennis-ritchie/

今このアーティクルを書いているマシンはUbuntu Linux 11.04。バックグラウンドでは11.10へのアップデートを行っているところだ。アップデート完了まで30分ほどかかるようなので、先日亡くなったDennis Ritchieについて書いてみたい。

Ritchieといえば、K&RのRの人だ。プログラマの本棚には必ずK&Rがあることと思う。私のK&Rは1997年5月1日の第2版211刷だ(共立出版から出ている石田晴久先生の翻訳。そういえば、石田先生もお亡くなりになられた)。

この本は、私が高校生だったころ、近くのパソコンショップで購入したもの。もう無くなってしまったが、帯に「K&RのC」と書いてあって、「これがあの有名なK&Rか」と購入した。私の本棚の技術書の中では一番古いのではないかと思う。

通学途中の電車で読み、大学に入ってからもリファレンスとして参照した。本を大事にする私でも、この本は索引が取れてセロテープで付けてあるなど、ボロボロになっている。10年以上の付き合いだ。

そんなC言語の生みの親がRitchieだ。そして、C言語のキラーアプリケーションがUnixであり、UnixがなければLinuxはなく、今ここでUbuntuのアップデートをすることもなかっただろう。高級言語でOSを書くというアイデアは、まさしくイノベーションである。

Ritchieは今年の春に日本賞を受賞している。日経サイエンスに、どこかで見たことのあるヒゲのおじさんが出ていると思ったら、Ritchieだった。UnixとC言語の発明による功績だった。地震の影響で授賞式はキャンセルされたらしい。

だから、Dennis Ritchieはまだまだ健在なのだと思っていた。Ken Thompsonも、Brian Kerninghanも、Rob Pikeも、みんな元気だと思っていた。

クリント・イーストウッドの映画に、『スペースカウボーイ』というのがある。危機に陥った人工衛星を修理するために、往年の宇宙飛行士が結集するというストーリーだ。同じように、世界のどこかでまだPDP-11でUnixが動いていて、それを修理するためにベル研のメンバーが結集するというのもストーリーとしては面白い。

そろそろアップデートが終わる。K&Rは今後も私のバイブルだし、C言語も使い続けていくだろう。さようなら、C言語とUnixをありがとう。

2011年10月11日火曜日

よしおかさんが困ってる

「いつまでもよしおかさんでいいのか?」なんて言っていたら、

http://yshigeru.blogspot.com/2011/09/blog-post_25.html

本当によしおかさんが困っていた:

http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20111010

何に困っているかというと、
  • 会場の確保
  • 当日の運営あれやこれや
ということらしい。

会場の確保が難しいというのはよくわかる。昨今、どこの会社でも、セキュリティ関連が厳しくなっているのだと思う。私の会社などは、扱っている製品がアレなせいもあり、よその人間を会社の敷地内に入れるというだけでも保安課が腰を抜かしてしまう。

よく参加させてもらっているGenesis Lightning Talksや、一度だけ開催したShibuya.lisp Hackathonでは、Oracleさんを利用させてもらっている。最近ご無沙汰しているOpenSolaris勉強会も最近はOracleでやっているようだ。

聞いたところによると、Oracleさんはコミュニティ活動に力を入れていて、勉強会やカンファレンス等に会場を提供する専門のセクションを持っているらしい。Oracleさんにちょっと当たってみようか。

当日の運営あれやこれやというのは、私もぜひぜひ協力させていただきたいと思う。鎌倉勤務なので、都内まで移動に時間がかかる(1時間ちょい?)のだけれど、ちゃんと計画を立て、強い意志をもてば、やれないことはないと思う。

というわけで、よしおかさん、ボク、やります!!!

2011年10月10日月曜日

大学の役割り

「大学で学んだことが社会に出てから役に立たない」という話をよく聞く。先日のLT祭りの懇親会でも、この話がちらっと出た。

この話を聞いて私がいつも思うのは、電気や機械や材料のエンジニアはどう思っているのだろう? ということだ。どうも、この手の話は情報系のエンジニアによく聞くような気がする。

例えば、大学ではアルゴリズムやデータ構造の授業がある。しかし、実際には大抵のアルゴリズムやデータ構造はライブラリになっていて、新しくアルゴリズムを設計するよりも、それらライブラリを持ってきて組み合わせるほうが多いと思う。

だから、多くの人が、大学で学んだことが社会に出てから役に立たないと言うのは、同意できることではある。情報系出身ではないプログラマもたくさんいて、例えば、彼らのアルゴリズムに関する理解は甚だ怪しいものではあるが、それでもよくやっている人はたくさんいる。

工学の知識というのは、基礎理論から応用までの幅広いスペクトルになっていて、これを大学ではどう教えるかということなのだと思う。 これは、情報工学に限ったことではないはずで、じゃあ、他の工学の分野ではどうやって教えているのだろう? と、思うわけだ。

ちなみに、私は製造業で働いているので、周囲に電気や機械のエンジニアがたくさんいる。彼らからは、大学の授業が役に立たないなどというボヤきは聞こえてこない。

私個人の感想としては、やっぱり、大学の授業が直接的に役に立つという機会は少ないように思う。でも、私はその手のことが好きなので、大学の授業は楽しかったし、大学へ行ってよかったと思う。

医者を養成するための医学部や法律家を養成するための法科大学院があるように、プログラマを養成する職業訓練大学校があってもよさそうなものではある。経営学にはビジネススクールあるわけだが、文系の学科の人なんかは、また違った思いを持っているのだろうか?

2011年10月9日日曜日

LT祭りに行ってきた

昨日は、都内で開催されたLT祭りに行ってきた。LTのワークショップがあって、実際に手を動かしながらLTの作り方を学べるということだった。最近はあまり勉強会などへ参加していなかったので、久々の遠征となった。

http://kokucheese.com/event/index/17631/

私も、たまに勉強会やイベントなどへ行ってLTをやったりする。LTをやると、終わったあとにいろんな人が声をかけてくれたりして、人見知りな私には、LTは友達を作る大切なツールである。

今まで我流でLTを作ってきたのだけれど、LTの達人たちの作り方を伝授していただいた。LTの作り方をプレゼンで教えていただいたのだが、そのプレゼン自体、みなさんやっぱりうまいなぁ。

内容に関しては、マインドマップとかKJ法とかマンダラートとか、その手の思考技術は結構バカにしていたのだけれど、いざやってみるとそれなりにアイデアが湧いてくる。プレZEN風のスライドも、素材さえ用意してあげればそれなりに作れる。

というわけで、もっとたくさんの人と、LTで知り合うことができるといいな。

2011年10月4日火曜日

大事なことはすべてBSDで学んだ

半年に一回くらいBSDが触りたくなる。Software Designの今月号の特集がFreeBSDだったので、早速触りたくなってしまって、Ubuntuの入っていたPCをつぶしてFreeBSDにしてしまった。9.0-Beta3である。

2002年前後、ASCIIがBSD Magazineなる雑誌を出していて、なんとも怪しげなマニアックな濃い雰囲気を醸しだしていた。砂原先生など、Unix界の大物(要するにオッサン)が登場し、「PCでUnixをやるならBSDだ。Linuxなんかダメだ」と主張しておられた。

当時はLinuxも2.2とかそのへんで、LinuxとBSDとどちらが良いかというような議論もあった。私は、砂原先生たちのその濃い雰囲気にやられてしまって、FreeBSDを使い始めた。これが私とBSDとの出会い。

当時は、FreeBSDも3とか4とかそのくらいだった。学校に行かない不良大学生だった私は、大学のプログラミングの演習なども、全部自宅のFreeBSDでやってしまった。大学のマシンはLinuxだったが、ユーザランドでプログラミングする限りではほとんど変わらない。

その後、研究室に入ってもFreeBSDを使い続け、私とBSDとの付き合いは大学を卒業するまで続いた。

私は、BSD上でUnixとUnixシステムプログラミングを学んだ。Lispの処理系も書いたし、正規表現のパーサーも書いた。しかし、それ以上に、私がBSDから学んだことの中でもっとも大事なのは、BSDに流れるハッカー精神である。

Linuxにもハッカー精神はあると思う。しかし、Linuxのそれは、BSDのそれとはちょっと違うように思う。単に世代の違い、若者とオッサンの違いかもしれない。

BSDのハッカー精神には、燦々と太陽の照りつける中、カリフォルニアの大地を土煙を上げながらオープンカーでひた走る、そんなイメージがある(カリフォルニア行ったことないけど)。

ないものは自分で作ってしまえ。ソースがあるなら改造してしまえ。ビル・ジョイなんかは、viを発明する前はcatでコードを書いていたのではなかろうか?

というような、古き良きハッカー精神をBSDからは学べたと思う。就職してからSolarisやLinuxに浮気したけれども、なんかしっくりこないのは、このBSDの古き良きハッカー精神とLinuxやSolarisのハッカー精神との間の「ズレ」を感じていたのだろう。

というわけで、せっかくFreeBSDもインストールしたことだし、しばらくいじってみようかと思う。大事なことはすべてBSDで学んだ。